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2014年11月23日

いつか来た道

沖縄の知事選挙が終了しました。歴史に残る選挙でした。

何よりも良かったのが沖縄人のアイデンティティを打ち出した初の政治家が当選したことです。

そして辺野古基地の建設反対を唱えた方の当選でしたので嬉しく思います。何度も聖書から誰の政策が神の御心を担っているかを説明してきました。そして何が大切であるかを話してきました。

人間性を見るのもいいかもしれません。しかし人間の心の内は神以外は知ることは出来ません。良い人と思っても蓋を開ければそうでなかったり、よくないと言われた人でもいざと言う時は凄い良いことをすることもあります。人は見かけによらないとはよく社会で言われてきました。

人の評価は50歩100歩だと思います。そんなに違いはありません。いい例が、政権を取った時の民主党がまさにそうでした。フレッシュな若手の政治家たちに期待したのですが、私達はばかを見たのです。これまで見たことのないどうしょうもない政治家集団でした。

ならば私達は聖書から見る方が絶対に正しいのです。神の眼には狂いはありません。狂うのはいつも私達の目であります。預言者のサムエルはサウル王の後継者を選ぶときに人間の目で見ました。しかし神は次のように言いました。

サムエル記(Ⅰ)16章6節、7節:彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

なにはともあれ辺野古の基地建設に何らかの歯止めがかかることは間違いがないでしょう。一安心と言いたいのですが衆議院が解散になりました。直ぐに総選挙が始まります。

正直はうんざりですが、選挙費用は700億円もかかるそうです。あまりにも国民を愚弄しすぎています。貴重な税金をこんなものに使う政治家たちの気持ちに怒りがこみ上げてきます。

そしてこの国はいつか来た道に戻ろうとしています。戦争という最大の愚行をまた繰り返そうとしています。

聖書には、イエス様の二人の弟子たちがイエス様の復活を信じきれなくて家に帰る場面が登場します。また同じ道に帰っていくところで復活のイエス様と出会います。しかし彼らの目は塞がれていてイエス様を見分けることが出来ませんでした。普通の人にしか見えませんでした。いつか歩いて来た道には真理は存在しないのです。

新しい道こそ幸いな道なのです。

アーメン。




Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 11:26│Comments(1)
この記事へのコメント
人の善行は後の人が評価する。と思いますから今の段階では私には何も言えません。知恵無き者です。

ただ、沖縄県民の根の深い部分に光が入らなければ沖縄は変わらないでしょう。
Posted by 金城米子金城米子 at 2014年12月07日 00:11
 
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