てぃーだブログ › 牧師の一口メモ

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2015年01月13日

涙の15年

1999年11月14日に沖縄ベタニヤチャーチはオープンしました。

本当は去年が15年目でした。しかし第9回の幸せコンサートのイベントもあって今年にささやかな感謝の記念コンサートを開くことにしました。

時が経つのは早いですね。あっという間の15年です。ここまでやってこられたのは奇跡不思議以外ありません。そしてイエス様の深い憐みのゆえに導かれて15年を迎えることが出来ました。

ハレルヤ!

教会を始める時に神様に約束しました。「貧しい人、苦しんでいる人、悩んでいる人、虐げられている人の為に働きます」と。

そして鍵を掛けないで24時間オープンにしました。するとすぐにホームレスの方が教会に来ました。これがホームレスの皆さんとの関係の始まりでした。キャッチフレーズのように、教会は貧しい人たちの住まいになりました。そして食料を持って公園を巡回するようになりました。また刑務所出身の方々の支援まで広がっていきました。ホームレス教会の始まりです。

あれから早15年です。いろいろなことがありました。辛い事や苦しいことが一杯ありました。この働きを止めようと何度も考えました。

裏切られたり、だまされたり、罵られたり、資金不足に陥ったり、教会のメンバーが移っていったりと自分との葛藤が長く続きました。何よりも自殺者が出た時にはさすがに、逃げたい気持ちになり、もう止めようと決心した時もありました。しかし止めることは出来ませんでした。

彼らを公園に返すことになるから。

心に鞭を打ちながら、ときに神様に文句を言いながらやらざるを得ませんでした。そしていつの間にか施設が与えられて働きも大きくなりました。今考えて見ると、やってきて良かったとつくづく思っています。

それは、私の信仰が聖書的になれたからです。また多くの友人達が出来たことです。そして素敵なスタッフの皆さんと共に働けるようになったからです。

15年の間に1500人以上の方々が私達の教会や施設に来ました。女性達もいればお年寄りもいたし未成年(15歳)の若者も来ました。牧会をしながらNPOの働きをするのは大変な仕事です。伝道も一生懸命にやりました。もちろん今もやっていますが。その間にいつしか教会は大きく成長して支援施設も4つに増えました。関連の働きも増え広がり益々組織は大きくなってきました。

涙の15年でしたが、愛する家内の助けや子ども達が共に働いてくれて、また力強く支えてくれたのでここまでやってこられたと信じています。

そして良き協力者の役員の皆さん、信徒の皆さんが聖書の教えに基づいた奉仕を続けてくれました。何よりも「愛」を結びの帯として一人一人しっかりと繋いで下さったので倒れることなく走ってくることが出来ました。

心から感謝しています。

なにより大阪の母教会の愛のご支援のお蔭です。 これからも長―い働きになりますがよろしくお願い致します。

皆さんの上にイエスさまの祝福がありますように。

アーメン。

  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 21:19Comments(2)

2015年01月12日

神様は生きておられて私達に最高の人生を歩んでほしいと願っている

明けましておめでとうございます。

みなさまには、良いお正月を迎えられましたでしょうか。

私は、この正月3日間は祈祷院に宿泊しながら、沖縄のいい所の探索に出かけました。

沖縄に長年住みながらも初めて訪問する所でしたが、沖縄にもこんな素晴らしい自然が残されていることを見て感動を覚えました。訪問してよかったとつくづく感謝しています。

最初に行ったところは国頭村の比地大滝です。駐車場から約1、2キロメートルの山深い滝を目指しました。

仲間が大勢いたので、最初は、調子よく元気に歩いていましたが、私よりも先輩の兄弟もいましたので、途中からは気を遣いながら川沿いにゆっくりと景色を見まわしながら進んでいきました。アップダウンのかなり激しい道のりでした。

景色が良く、冬の冷たい空気の中での散歩ながらの歩みは本当に気持ちのいいものでした。観光名所ですから多くの方々が行き来しますので、すれ違う皆さんに元気よく挨拶をしながら力強く川べりを行きました。途中でとても可愛いアカショウビンに出会って、写真を撮ろうとしたのですが準備する間に森の中に消えていきました。

そうこうするうちに大滝に着きました。そんなに大きいと言うほどではありませんが、水の綺麗さと力強い水の落下には感動しました。是非一度は見にいらっしゃってください。かなりのアップダウンがありますので体力が必要です。

そして本部町の福木並木にいきました。初めての場所のように思っていましたが、そういえば、はるか昔、高校2年生の時に友人の家に遊びに行ったことがあることを思い出しました。あの時は、バスで揺られながら本部に向かいました。名護に着くころには灯りもほとんどなくて、凄い所に行くのだな-と思いながら本部に着きました。日も落ちほとんど暗くなり、なんとか灯りが在りましたが、しばらくしたら消えてしまいました。村で時間制の発電機を起こしていたのです。びっくりの世界でした。もう一つびっくりしたのは、夜が明けてみると屋敷の周りが福木で囲まれていたことでした。台風対策と言っていましたが、とてもきれいに生えていたのを覚えています。

今回も同じように福木並木を見ることになりましたが、完全な観光名所になっていました。駐車をしてから、みんなで並木道を散策しました。きれいに掃き清められた並木道を歩みながら感激しました。これも先祖たちの知恵であると覚えながら神様の創造に思いをはせました。

神様が創ったものは一つも無駄が無いのだと、また人間が生活をしていくための知恵が与えられたことは素晴らしい事であるとつくづく考えさせられたのです。ハレルヤ!

この神様は生きておられて私達に最高の人生を歩んでほしいと願っているとの証明をちゃんと示しています。

アーメン。

今年もスタートしました。最高の年になるようにしっかりとイエスさまに繫がっていきましょう。

そういう人はヨハネ15章5節「多くの実を結びます。」ハレルヤ!

  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 00:06Comments(0)

2015年01月01日

終末の世の年末に

今年のクリスマスは年末にふさわしい素晴らしいものとなりました。

ゆいまーる教会が21日で、沖縄ベタニヤチャーチが23日、そして24日は西原ベタニヤでした。

また24日には沖縄ベタニヤチャーチが初めて曙1~3丁目でキャロリングを行いました。

それぞれに楽しいクリスマスの祝会を持つことが出来ました。イエス様の誕生日ですから盛大にかつまた厳かに行ったわけですが、いろいろとハプニングも起こりました。人間が行うことですから完璧には出来ません。不満、不平もありましたが、しかしイエスさまの証が随所に顕われて感謝することが多くありました。

ハレルヤ!

ゆいまーる教会では初めての方が来ました。ラジオを聞いて来たそうです。嬉しいですね。

何よりも地域の方が来てくれることを願っていましたので、それが叶いました。また糸満母子会の皆さんも去年に引き続き参加してくれました。

そして出し物も熱演を振るっていただきました。食事もおしいものがたくさんありました。皆さんの一品料理の持ち寄りに心から感謝します。またベタニヤチャーチでは与儀公園から60人以上の方々が参加してくれました。ハレルヤ!

例年の通りに教会は人で溢れて足の踏み場もないくらいでしたが、楽しくクリスマスをお祝いすることが出来ました。

少し残念なのが西原ベタニヤのクリスマス会とキャロリングが重なってしまって西原ベタニヤに参加できなかったことです。

聞いたところオリーブのスタッフが参加してくれて、とてもたのしく祝会が持てたそうです。東江先生、紀子先生に感謝です。エデンハウスに祝福あれ。アーメン。

初めてのキャロリングは30人が参加して、7か所の拠点で賛美を捧げることが出来ました。そして移動する時にはギターを先頭にクリスマス賛美を整然と歩きながら捧げました。また路上でお会いした方々に「メリークリスマス」とあいさつをし、プレゼントをあげました。大人も子供たちも喜んで受け取ってくれました。とにかく出会った方々の皆さんが喜んでくれたので大成功でした。

今回のクリスマス会には例年にない素晴らしい方の応援があってインターネットに登場することになりました。西の最終兵器がその道の専門家で、沖縄や本土の方々、また全世界にクリスマスの活動やキャロリングを発信することが出来ました。

既に多くの方々から絶賛のコメントが届いています。ハレルヤ!

素晴らしい賜物ですね。アーメン。

ほんとうに皆さんご苦労さまでした。来年もイエス様の祝福がありますように

アーメン。


キャロリング風景 西の最終兵器撮影
  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 20:09Comments(1)

2014年12月25日

えーきくーば

クリスマスのメッセージが続いています。

聖書からクリスマスに関連する箇所を探しながら様々な由来や言い伝えを見つけるわけですが、クリスマスに飾られるツリーや、星、リースやクリスマスイブのことが沖縄の風習の基礎になっているのが多すぎて驚かされています。

例えばクリスマスツリーの由来は、イエス様がヘロデの殺害から逃れるためにエジプトに逃避をするのですが、マリヤとヨセフが荒野の洞穴に隠れた時に一匹の蜘蛛がイエス様を守るためにきれいな糸で入り口に巣を張りました。追ってきたヘロデの兵士たちは入り口に張ってある蜘蛛の巣を見て、中には人がいないと思って洞穴に入りませんでした。それでイエス様たちは助かります。

この巣を作った糸が筋状に輝いていてとても美しかった。これがツリーの原型となったのです。

しかし、驚いたのはラジオでそのことを話したら米子先生が昔から沖縄には蜘蛛を殺してはいけないと言う教えがあったと言うのです。また蜘蛛の巣の後ろには黄金があるとのこと。「えーきくーば」蜘蛛の利益と言う教えです。沖縄の古来の言い伝えが、いかに聖書的であるかが分かります。

また、クリスマスリースはモミの木を使いますが、稲穂や麦の穂、ぶどうのつる、リンゴなどで作ります。これは実がなると言うことで繁栄を表し、また魔よけの意味があるのですが、本来リースは玄関に飾るものです。これは正月に使う、しめ縄の由来の基礎になっています。

クリスマスイブが24日となっています。これはクリスマスの前夜「イブニング」と言うことですが、日本沖縄と西洋とはこのイブのとらえ方が違うのです。西洋では聖なる前夜(イブ)と言って家族がクリスマスのお祝いをする習慣になっています。家族全員が一堂に集ってイエス様に感謝を捧げるのです。

しかし、東洋では恋人同士がロマンを語り合う夜になっています。このイブの夜にはマスコミが盛んに恋人に人気がある店を紹介しています。クリスマスを大々的に祝う国にしてはなんとお粗末なことでしょうか。クリスマスの本当の意味が分からないので仕方がないかもしれませんが・・・

日本人は良く考えもしないで行動すると言われています。クリスマスの後すぐに大晦日が来るので、お寺神社にご利益参拝をする。仏教徒でもないのに平気で参拝をする。しかも10円くらいを捧げて願をかける。

仏壇でもそうですが、ここに先祖の霊が本当にいるか検証もしないで何でもやる。頭が良くて、賢くて、世界一まじめですが不思議な民族であります。

子供達はクリスマスをサンタさんの誕生日と思っている。いや大人もそうかもしれませんね。

非常に残念ですが、本当のことを知らせるのもクリスチャンの役目です。伝道しない私達クリスチャンに責任があるかもしれませんね。

アーメン。

何はともあれ、愛する神の家族にメリークリスマス!
  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 13:52Comments(0)

2014年12月16日

羽田行きではなくて成田行きでした。

タンザニヤ会議で東京に行って来ました。

クリスチャン実業家の皆さんと交わりが出来て本当に嬉しい集いとなりました。しかし出張の時はいつも最大限の注意を払うようになったつもりでしたが、今回も大慌ての失敗がついて来ました。

今回はスケジュールの関係で日帰りの強行日程になりました。本当は一泊して訪ねたいところもありましたが、それは残念でした。タンザニヤ会議は、とても素晴らしい見晴らしの良いホテル(28階)での食事と会議室を使用した会議でした。

なんといってもスカイツリーを目の前にしながらの食事には感激しかありませんでした。食事も一流のホテルのシェフが作ったおいしいものばかりでした。小食の私にとっては辛いものがありましたが、少しずついろいろな料理をつまんでおいしい味を堪能する事が出来ました。

一流のホテルとなると食事が良いばかりでなく雰囲気もいいので、ほんのひと時優雅で、金持ちの気分になりました。神様に感謝します。

やっぱりクリスチャン実業家はうらやましい限りでした。私も牧師になる前は会社の代表者でしたので、クリスチャン実業家の祝福の力は体験していました。牧師を忘れて実業家との会話に浸ることが出来ました。

ハレルヤ!

牧師や実業家や病院の医院長等々が集って、神様の為に働くという事の共通の話し合いをすることが出来ました。それぞれに素晴らしい賜物を与えて下さり神の家族として様々な方々と知り合うことが出来たこと、またこの神様を信じてきたことに只々感謝するのみでした。

心もお腹も一杯になって楽しく一階のコーヒーラウンジで次のスケジュールをこなしてから帰途に就くことになりました。

二つ目の仕事も無事終えて駅に向かいました。時間も余裕があって満足しながら向かいました。

駅で羽田行きの電車をしっかり聞いたつもりでしたが・・・終着駅が羽田でしたので安心してうとうとしてしまいました。しかし、ふと目が覚めました。この電車は羽田行きではなくて成田行きでした。

頭の中がぐるぐる回りはじました。駅員に私は羽田と聞いたつもりでしたが、成田行きは何処ですかと聞いたようです。電車の中で時間を確認するとやばいことになったと思いました。これでは飛行機の時間に間に合わないと思い、大慌てに慌てて次の駅で降りました。直ぐに駅員に羽田行を聞きました。神様に祈りながら足を速めて電車の乗り場に向かいました。

何故、あれだけ注意したつもりなのに、情けない自分に怒りを燃やしながら羽田行の電車に乗りました。

心は今までの楽しかったことがすべて吹っ飛んだような憂鬱な気持ちでした。電車の中でも時間ばかりが気になって落ち着けません。電車が各駅で止まるごとに早く戸が閉まるようにつぶやくのでした。しかし、神様はやっぱり素晴らしい!

ギリギリでしたがちゃんと間に合わせてくれました。ハレルヤ!

しかし疲れました。われながら情けなくて自分にがっかりのひと時でした。
  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 12:39Comments(0)

2014年12月10日

全世界に出て行き

さあ!12月に入りました。

2014年もあとわずかな時間となりました。悔いがないように大切に使いましょう。

先日、宮古の多良間島に出張しました。宮古までジェット機で那覇から約40分です。宮古からプロペラ機で、約15分で行けます。非常に近いです。島に着いたら目をキョロキョロさせながら教会を探しましたが残念ながら教会はありませんでした。

ところが途中でエホバの証人(ものみの塔)の皆さんを見かけました。沖縄でよく見かける光景です。もの凄いショックを受けました。彼らの伝道のスピリッツにはいつも敬服をしていますがここまで来るのかと・・・驚きで言葉にもなりませんでした。

また、だんだんと時間が経つにつれて怒りが込み上げてきました。彼らにではなく自分に対してです。またしても神との戦いになりました。3年前に南大東島に行った時もエホバの証人のチラシをいたるところで見ました。私達も聖書とトラクトを配りましたが、しかしエホバの証人の伝道熱心には敬意を払うと同時に驚くばかりでした。


私達は本当にこのままでいいのでしょうか。自分の生活を支えるに汲々しながら生きていく、いや生きて行かなければならない現実、本物のクリスチャン達が何時になったら彼等みたいに伝道に燃えるのでしょうか。多くのクリスチャン達は彼らのことを悪く言いますが、はたして私達が彼らに誇るものや見せるものがあるでしょうか。イエス様は天に帰る時に弟子たちにこういいました。もう言い古されていることで、何度も聞かされていることです。

マルコ16章15節
「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』」
イエス様は福音を述べなさいと明確に命じています。しかも弟子を訓練し、実践もさせました。そして弟子達も常に伝道を続けました。

「ルカ9章1、2節」
こんにち私達は主の命じたこのマルコの御言葉をどのように感じているのでしょうか。ただ、私は今回も主に申し上げました。(文句ですが)

弟子達にはあなたのすべての賜物と権威を注いでいるのに私にはまだですよ。弟子達みたいに癒しも悪霊追い出しも出来ていません。ですから私にもあの賜物と権威を早くくださいと。不公平ではありませんかと文句を言いました。イエスさまに対する精一杯の抗議です。

きっと聞いて下さることでしょう。

アーメン。
  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 11:01Comments(0)

2014年12月05日

うらやましい

台湾からの張先生の聖会が終わりました。

多くの恵みが注がれました。本来私たちの信じている神様は不思議な神様で、奇跡の神様で、癒しの神様です。つまり超自然的な神様です。そして生きておられる神様です。

このような素晴らしい神様を信じている私たちクリスチャンは最高の幸せ者です。

アーメン。

そしてこのようなことをいつも体験しているのが張先生と弟子達です。本当にうらやましいかぎりです。

何よりも張先生と奥さんの関係には目を見張るものがありました。張先生の働きの助けとなっているばかりでなく、張先生に負けず劣らず凄い賜物を持っていました。しかしその賜物を勝手に使うことなく張先生の言うとおりに動いていました。聖会中はいつでも張先生の指示に従って喜んで奉仕をしていました。

また張先生の18歳の娘が病気の癒しや悪霊の追い出しの素晴らしい働きを見せてくれました。8歳の時から訓練をしてきて10歳の時には悪霊の追い出しが出来たそうです。良い教えをしてきたと思います。とても素直なお嬢さんでした。

もう1人は実業家の姉妹です。美容室の経営をしながら張先生の弟子訓練をうけて賜物が開発されて癒しの働きをしています。美容室の経営が成功してプール付きの豪邸に住んでいて、伝道の費用はいつも自前で払うそうです。素晴らしい弟子です。

今回で、私達は与えられた賜物の訓練がいかに大切であるかを知ることが出来ました。聖書タラント開発訓練校を作るのに希望が持てたのと、勇気と自信が与えられました。理事の全員がそう感じました。そして訓練をすれば誰でもマルコの福音書16章17,18節が成就するということの信仰に立つことが出来たのです。

「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」

アーメン。

マルコの福音書では、賜物は信じる者すべてに与えられていて訓練をすれば、つまり磨けば光って神の役に立ち、教会の役に立つようになれることを御言葉を持って教えています。

特に教会の中に病気の方々が多くいます。

癒しされてそして今度は癒すものなってほしいのです。教会の中だけでなく外の人々も癒して魂を勝ち取るのです。その働きを多くの兄弟姉妹が荷ってほしいと思っています。張先生の弟子たちの働きをみるとうらやましい限りです。ほんとうに素敵な4日間でした。奉仕に参加してくれた皆さんに心から感謝します。

ありがとうございました。

そして沖縄にいる私たちも超自然的な神様の働きに加わっていたいと思います。

アーメン。
  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 11:44Comments(0)

2014年11月23日

いつか来た道

沖縄の知事選挙が終了しました。歴史に残る選挙でした。

何よりも良かったのが沖縄人のアイデンティティを打ち出した初の政治家が当選したことです。

そして辺野古基地の建設反対を唱えた方の当選でしたので嬉しく思います。何度も聖書から誰の政策が神の御心を担っているかを説明してきました。そして何が大切であるかを話してきました。

人間性を見るのもいいかもしれません。しかし人間の心の内は神以外は知ることは出来ません。良い人と思っても蓋を開ければそうでなかったり、よくないと言われた人でもいざと言う時は凄い良いことをすることもあります。人は見かけによらないとはよく社会で言われてきました。

人の評価は50歩100歩だと思います。そんなに違いはありません。いい例が、政権を取った時の民主党がまさにそうでした。フレッシュな若手の政治家たちに期待したのですが、私達はばかを見たのです。これまで見たことのないどうしょうもない政治家集団でした。

ならば私達は聖書から見る方が絶対に正しいのです。神の眼には狂いはありません。狂うのはいつも私達の目であります。預言者のサムエルはサウル王の後継者を選ぶときに人間の目で見ました。しかし神は次のように言いました。

サムエル記(Ⅰ)16章6節、7節:彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

なにはともあれ辺野古の基地建設に何らかの歯止めがかかることは間違いがないでしょう。一安心と言いたいのですが衆議院が解散になりました。直ぐに総選挙が始まります。

正直はうんざりですが、選挙費用は700億円もかかるそうです。あまりにも国民を愚弄しすぎています。貴重な税金をこんなものに使う政治家たちの気持ちに怒りがこみ上げてきます。

そしてこの国はいつか来た道に戻ろうとしています。戦争という最大の愚行をまた繰り返そうとしています。

聖書には、イエス様の二人の弟子たちがイエス様の復活を信じきれなくて家に帰る場面が登場します。また同じ道に帰っていくところで復活のイエス様と出会います。しかし彼らの目は塞がれていてイエス様を見分けることが出来ませんでした。普通の人にしか見えませんでした。いつか歩いて来た道には真理は存在しないのです。

新しい道こそ幸いな道なのです。

アーメン。
  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 11:26Comments(1)

2014年11月19日

お金のことと、政治のことと。

「清貧」と言う言葉があります。

清く貧しくと言う意味だそうです。これが教会の教えと言われています。清いは良いと思いますが、マタイ5章の「心の貧しいものは幸いです。」の御言葉を物質の貧しさと解釈したのです。

「貧しい」を物質の貧しさにはき違えてしまいました。ですから教会の中でお金の話はタブーとされています。しかし、聖書を見ますとイエス様はお金の話を何度もしています。またお金の大切さを教えています。

私達が生きていくのにお金はとても大切な物です。教会にとってもお金は絶対に必要なものです。

また、人を助けるのにお金が必要になります。

イエス様は大昔から「貧しい人々や寡婦や孤児を助けなさい。」とクリスチャン達に命じてきました。

ですからお金の話をしてきたのです。そしてお金の稼ぎ方や使い方を明確に教えてきたのです。お金の良き管理者になるようにとお金の大切さを教えたのです。

ただ、今の教会ではお金にたいするイメージは善くはありません。教会でお金の話はほとんど聞かれません。

しかし、実際、人間は誰でもお金は好きなはずです。また必要なものと思います。

本当は、教会ではお金に対する向き合い方を正しく教えなければなりません。これが聖書的です。

もう一つ教会でのタブーがあります。政治のことです。日本沖縄の教会では一切政治の話をしてはいけません。いつの間にか教会は政治を遠ざけてきました。ですからクリスチャン達は政治に無関心になっています。投票にもほとんど行きません。教会の指導者達が政治のメッセージをしないので、いきおい聖徒も無関心になっていくのです。

しかし聖書には素晴らしい政治家たちが登場して良い政治を行います。ヨセフやモルデカイやダニエルたちです。私達の国がどんな人たちに動かされているのかを知ることはとても大事です。クリスチャン達を迫害してきたのは時の政治家達や王たちであることを忘れてはなりません。

沖縄は知事選挙真最中です。戦後このかた、基地があるために県民はいつも二つに分かれて争ってきました。

本来基地は無い方がいいに決まっています。基地があるゆえに先の大戦では14万人以上の大きな犠牲を強いられたのです。今度の知事選の大きな課題は辺野古の基地建設です。賛成派と反対派が争っています。県民もほぼ二分されています。

聖書から見ると二つの意味で辺野古に基地を作ることは神の御心ではありません。これは聖書が明確に述べているのです。神が創った素晴らしい自然を埋めることは神に反抗することになります。神は「私が定めた地境を移してはならない」と言いました。

また、武器を作るなとそして戦いのことを学ぶなとも命じました。いかに祖国防衛と言っても神の教えに逆らうことは善いことではないのです。神の言葉に従うのがクリスチャンです。正しい選択をしたいものです。

アーメン

2014年11月15日記





  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 14:07Comments(0)

2014年11月11日

沖縄に帰りたい

久しぶりに東京に出張しました。飛行機が成田着でしたので真夜中にホテルに着きました。

いつも思うのですが成田に空港を作った官僚と政治家は愚か者とつくづく思います。成田に行くときは本当にそう感じます。私達沖縄の方々は那覇の空港まで10~20分で行くことが出来るので本当に感謝しています。

那覇市に住んで良かった。アーメン。

いつも神様は不思議な旅をさせてくれます。今回もそのような体験をしました。

2日目に新宿の街を歩いて、ある教会(目的の)に向かいました。ガード下を通る時にホームレスの方々が寝ていました。驚いたことに男たちの中に比較的に若い女性がいました。見ながら通り過ぎたのですが、引き返して声を掛けることにしました。

そしたらもう一人の方も女性でした。最初の時は寝ていたのでてっきり男性と思っていました。

この女性たちに話しかけました。まず、おはようございますと挨拶をしてから、「私はキリスト教会の牧師だけど何でここに寝ているの?」返事はありません。怪訝そうに私を見上げるだけでした。

「寒くないの?」無視状態です。「私は沖縄から来んだけど」と言った途端、一人の女性がびっくりしたように大きな声で私も沖縄よ!と返事をしてくれました。

それからは話が弾んでいきました。名刺を渡したら身の上話をしてくれました。名護市の出身で本土に来て長いけどやっぱり沖縄に帰りたいと言っていました。名前も沖縄名字で住基カードも見せてくれました。最後は沖縄で死にたいんだけど・・・と、思いも語ってくれました。

少しばかりでしたが「生活に使って」とお金を渡しました。本当に帰りたくなったら支援をするので連絡をしてよと言ってその場を立ち去りました。

奉仕の後、ホテルに帰ると、夜中に彼女から電話が入りました。「さっきはありがとう。沖縄に帰りたい。」そして電話は切れました。

真夜中に東新宿駅に着きましたが駅のホームにたくさんの方々が段ボールや毛布をしいて寝ていました。ホームレスの方が駅で寝ているのをみてショックを受けました。なぜなら、最近はホームレス支援が東京あたりでは充実していると教えられていたからです。

私達は全国ホームレスネットワークに加入しています。全国の集まりでもよく支援団体の働きが紹介されていました。ですから、今でもこんなに多くのホームレスの方がいるのにびっくりしたわけです。

いつも思うのですが教会がもう少し聖書に立っているのであればホームレスの方々は減るのにと。

聖書に「慈愛」と言う言葉があります。「慈しむ」のことですが、無条件の親切の心です。

困っている方への憐みを行動に移すことを言います。慈しみ深い主の憐みによって救われた私達が憐れみ深いクリスチャンになることを主は期待しています。

アーメン。




  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 17:57Comments(2)

2014年11月05日

目的

第9回の幸せコンサートは大勝利を勝ち取ることが出来ました。

このコンサートの目的は二つありました。一つ目は福音を述べることでした。私達クリスチャンの使命は伝道です。それは先に選ばれた者の最大の特権であると共に、また素晴らしい恩恵です。

イエス様は弟子たちを選んでクリスチャンとしての様々な生き方を教えました。

3年半にわたって寝食(生活)を共にしながら懇切丁寧に教え込んだのでした。

時に叱ったり、褒めたり、例えをもって教えたりしました。何よりも力を注いだのが伝道でした。イスラエルの村々を巡りながら御言葉を語り、癒しを行い、奇跡を見せ、貧しい人たちを助け、罪びとたちの中に入って食事をし、罪の中にいる人を許し、そして愛を教えました。


しかし、注目しなければならないことは、これらはすべて伝道の中で行われたことです。伝道には大きな恵みが伴っていることです。

伝道をしていると様々なことに出会います。そしてこのような様々な出来事から私達は学んで行き、クリスチャンとしてまた霊的にも成長をすることが出来るのです。


二つ目は、貧しい人々に手を差し伸べることです。私達は毎週与儀公園で配食を行っています。その時にも伝道をしていますが、しかし配食も同時にやっています。それは貧しい人たちに少しでも食を配ることが出来るようにと願いつつ行っているのです。


旧約聖書の申命記15章11節にあるように、

「貧しい者が国のうちから絶えることはないであろうから、私はあなたに命じて言う。国のうちにいるあなたの兄弟の悩んでいる者と貧しい者に、必ずあなたの手を開かなければならない。」


そして箴言や詩篇でも貧しい人々への施しが命じられています。究極はマタイ25章で明確にイエス様が語られていることです。

25章33節~36節 「羊を自分の右に、山羊を左に置きます。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。

『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』」


これが幸せコンサートの目的でした。これが主に喜ばれる働きです。主に喜ばれることが何であるかを知り、命じられたことが何であるかを知ることが大切です。アーメン。来年は記念となる10回目のコンサートになります。

素晴らしい働きになるように期待して祈っていきましょう。



  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 15:32Comments(0)

2014年10月28日

すべての造られた者に

第9回の幸せコンサートを無事に終えることが出来ました。

皆さんの温かいご奉仕に心から感謝いたします。お蔭さまで最高のコンサートになりました。

天気に恵まれて、二日間で約2、700人の入場者がありました。おそらく今までのコンサートの中で一番よかったと思います。

何から何まですべてうまくいったコンサートでした。どうして今までのコンサートよりも良かったのかといいますと、今回初めて席が満席になったからです。入場者の皆さんが座れるイスは500席あったのですが、その席が二日目には満席になったのです。

ハレルヤ!

過去8回のコンサートに於いてはこのようなことはありませんでした。席に座ってしっかりとメッセージを聞いたり、出演者の演技に見入る方は大体良くて70%くらいでひどい時は30%くらいしかいませんでした。しかし今回は満席になりました。特に二日目は屋台も長ーい行列を作りました。ほとんどが(90%)ノンクリスチャンです。

私達の最大の目的は福音を述べることです。ですから未信者の方々をどのように集めるか、そして福音を述べるかをいつも考えてきました。

未信者の方々が集まらなかったらコンサートをする意味が薄れていきます。今回はかなり名が売れているアーティスト達が出演してくれました。また天気にも恵まれました。そしてスタッフをはじめ、沖ベタ、西ベタ、ゆいまーる教会の皆さん、また、朝日のあたる家、エデンハウス、オリーブの家の皆さん、そして一般のボランティアの皆さん、アメリカ軍基地の教会の方々の協力のおかげで素晴らしいコンサートになりました。

天の父なる神様が私達の働きをとても喜んでこのような祝福を注いで下さったのだと思います。

アーメン。

イエス様は天に帰られるときに弟子たちに命じられました。

マタイ28章19節「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、」弟子にするにはクリスチャンを作らなければなりません。その為には伝道することが必注要になります。

また、マルコ16章15節「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』

全世界に行きなさいと命じました。全世界は文字通りに言えば外国のことですが、しかし、私達の社会ことでもあります。ありとあらゆる地域階層の方々に福音を述べるようにと命じたのです。

主の命令を守り行う者には大きな祝福を注ぐと言う約束があります。

皆さんは天に宝を積む大きな働きをなしました。

ハレルヤ!

  


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2014年10月16日

何故、病気でありながら自分のことよりも他人のことを祈れるのでしょうか。

Kさんが昇天しました。

3回も私達に奇跡を見せてくれました。彼は今までの施設入居者の中で、最強の人物でした。悪い方の最強ということです。

病院に入院しても我儘をいって看護士さんたちを困らせていました。とうとう受け入れる病院もなくなっていきました。それくらい超我儘でした。
酒が大好きで生活保護費はほとんどが酒代に消えていきました。酒ばかり飲んでいて食事をあまりとらないものですから、痩せ細って行きました。

とうとう私達の施設では面倒見ることが出来なくなったので介護付き老人ホーム(ケルブ)に移りました。そしてしばらくして洗礼を受けたのです。イエス・キリストを救い主として信じたのです。

私達のところにいる時は洗礼をいくら勧めても一向に応じてくれませんでした。しかし、ケルブで洗礼式があると聞いて自分も受けたいと申し出てきたとの事です。ハレルヤ!

洗礼後、水曜日の祈り会にも出席してちゃんと祈っていたそうです。しかし、彼の祈りは自分のことはほとんど祈らずにケルブの祝福のことや一緒に暮らしている仲間の方々やスタッフの為の祝福を祈っていたそうです。

なんと素晴らしい事ではありませんか。

昇天式の証の中で聞くことが出来ました。 彼はまた、奇跡の人でもありました。入院しているときに病状が悪化してもう助かりませんと宣言されたことが3回もあったのです。一回目は一年程前です。二回目は半年前です。三回目は2か月前です。ある時には葬儀屋さんの方と電話で遺体の搬送の時間まで打ち合わせしたこともありました。しかし、死の淵から帰ってきたのです。

退院したらベタニヤチャーチに帰るのでよろしくと言った言葉が最後になりました。

何故、病気でありながら自分のことよりも他人のことを祈れるのでしょうか。

クリスチャンにはイエス様から隣人を愛するようにと命じられています。もしかすると彼はその言葉を実践していたのかもしれませんね。確かに良い人とはお世辞にも言えませんでした。しかし洗礼後、彼がこのような祈りが出来ることに私は聖霊の力が働いたと信じていますし、イエス様に愛されていた証拠であると確信できます。

良い人、悪い人、私達はどのような根拠で判断するのでしょうか。どのような基準を持っているでしょうか。

ただ、はっきりしているのは生きている神様と私たち人間の基準には大きな違いがあることです。これだけはハッキリしています。

ノアがいます。彼だけが神の御心に叶っていました。しかし彼の後の人生に大きな問題が起こります。洪水の後、彼は酔っぱらって裸になり寝ました。このことで彼は自分の息子を呪います。良い人でしょうか。

ロトがいます。我儘な人で、お世話になった叔父さんのアブラハムを困らせます。そして山に逃げて自分の娘達と子供を産みます。良い人でしょうか。

しかし聖書は彼を義人と言います(ペテロの手紙2章7節)。なぜ、彼らが義人でしょうか・・・「憐み」の心を持っていたのではないでしょか。

私達の神様は「憐み」の神様でもあります。アーメン





  


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2014年10月08日

隣人への最大のプレゼントはあなたの笑顔です。

あるクリスチャンの集まりに参加しました。小グループでした。一人一人と握手をして挨拶をしました。ほとんどの方々は笑顔で挨拶を交わしました。

しかし一人だけ全然笑顔の無い方がいました。

こういう方との挨拶は何となく不愉快を覚えますね。握手はしますが顔が全然笑っていません。なんだか嫌われているようで嫌になります。初めて会ったのだから嫌われるはずはありませんがいい気はしませんね。人間は誰でもブスッとされたり無視されたりすると多少たりとも怒りがこみ上げてくると思います。

しかし、クリスチャンですからグッとこらえて作り笑顔でその場を繕います。

しかし考えさせられるのです。私達クリスチャンはこんなはずではないのではと・・・私達に与えられた助け主の「聖霊」はブスッとする働きをするものでしょうか。

人を無視する方でしょうか。聖霊に満たされると私達はどうなるでしょうか。聖書はなんと言っているでしょうか。聖霊に満たされた場面がいくつか登場します。そこを良く見てみると驚くばかりです。使徒の働きの中に示されています。

使徒の働き
1-14節、祈る人になる。
2-4節では、外国語が話せるようになる。
2-13節では、酔っ払いのようになる。
2-14節では、突然、ペテロみたいにメッセージが出来るようになる。
3-6節~7節では、癒しのわざが出来るようになる。
4-13節では、大胆になる。
5-4節~5節では、権威が与えられる。
5-41節では、侮辱が喜びに変わる。
6-3節では、良い仕事(奉仕)が出来る。
6-15節では、顔が御使いのように輝く。
7-60節では、迫害する人を許せるようになる。

御言葉を見るのはここまでにしますが、ようは聖霊に満たされると人が変わるということです。

心が前向きになるし、暗いところがなくなると言うことです。苦虫を噛みながら聖霊に満たされることはないと言えるでしょう。

どちらかというと明るくなり、笑顔が出ているし、力がみなぎっているし、大胆になるし、喜びに満たされると言うことです。アーメン。
聖書には御霊の実としてハッキリと謳っています。

「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」

この御霊の実に暗い所がありますか。ブスッとしているところがありますか。

私達がクリスチャンになると聖霊が働きます。顔には聖霊の姿が現れます。

皆が聖霊美人になるのです。聖霊ハンサムになるのです。

アーメン。

隣人への最大のプレゼントはあなたの笑顔です。

ハレルヤ!
  


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2014年10月01日

滅び行く人々に

今年もバーベキュー会を持ちました。

そして今回はカラオケ大会も導入しました。日本人は歌が好きなので盛会になると信じていました。

正にその通りにとても楽しくて良いバーベキュー会になりました。肉もおいしいし、料理もよかったのですが、何よりもカラオケ大会が良かったと思います。

最初、出場者は10人くらいに絞ろうかと思っていました。しかし、あまりにも歌いたいと言う方々が多くてとても制限が出来るような状態ではありませんでした。26人が応募してきました。いつものように飛び入りもありました。それで、全員参加させることにしました。」

時間も大幅に過ぎるかもしれないが皆で楽しめればいいやと腹をくくることにしたのです。審査もカラオケの点数だけにしたのでは面白くないので全員で審査することにしたのです。

しかし、出場者全員の歌がうまいのにはびっくりでした。長嶺執事さんの出だしでみんなをうならせてしまいました。そして、次から、次から登場する方々が歌手並みのノドを披露するので司会をしながら感激で一杯でした。

また教会関係者だけでなく外部の方々もカラオケを歌ってくれました。参加者もクリスチャンだけでなく、一般の方々も多く見ることが出来ました。そして兄弟たちの証があって感動を得ることが出来ました。ハレルヤ!何よりも目的が達成されて感謝にたえません。そして様々な奉仕に携わった皆さんに心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。

教会の中でこのような会をするのはうちだけではないでしょうか。この会を持つにあたって趣旨を明確に述べました。
①福音を伝えること。
②地域と繋がりをつくること。 
③教会の兄弟姉妹の交わりの場になること。

これが目的でした。今回も見事に達成されました。ハレルヤ!

聖書は次のように教えます。伝道者の書3章

12節「私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。」
13節「また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。」
私達は聖書が言うように楽しみチャンです。苦しみチャンではないのです。十字架によって罪から解放されて自由になったのです。イエス・キリストにあって楽しみの人生が与えられたクリスチャンです。ハレルヤ!アーメン。

そして、幸せの自分を持って滅び行く人々に福音を述べ伝えていくのです。

主はいつも共にいてくださいます。アーメン。
  


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2014年09月18日

3つめのビジョン

教会を開いた時に10のビジョンを持ちました。
どのような教会にしようか、どのような働きをしようかと祈りました。教会を開所する前に5日間断食をしてビジョンを仰いだのです。そして10のビジョンが与えられたのです。

教会は祈りの場になりました。
早天の礼拝は日曜日を除いて毎日朝5時から持ちました。深夜の祈りも捧げられました。毎週金曜日は「癒しのミニストリー」でした。教会は活気に満ちていました。あっという間に100人近くに膨れ上がりました。10のビジョンが直ぐにも達成しそうな雰囲気でした。また教会には行き場の無い方々が寝泊まりしていていつも人でごった返していました。

しかし、働きが段々と貧しい人々に対する支援に移っていきました。
そしてホームレスの方々で教会は溢れるようになったのです。公園の伝道と配食の巡回活動が本格的に始まりました。ビジョンが遠のくのが感じられていきました。しかし、一つ目のビジョンは完璧に達成されていたのです。教会のビジョンの基礎は「貧しい人、苦しんでいる人、悩んでいる人、虐げられている人の為に働きます」でした。この働きはどんどん大きくなり、社会に大きなインパクトを与えました。そして国や行政から信頼され認知されていきました。

しかし、残りのビジョンがなかなか実りませんでした。
神のみこころを求め続けました。そして二つ目のビジョンが来ました。「希望ヶ丘祈祷院」です。12年かかりましたが、確実に実現しました。ハレルヤ!

三つ目のビジョンは「夜間保育」でした。
これが、今月9月11日に実現しました。「ろばの子保育園」が開園出来たのです。3年前に場所も働き人も与えられていましたが、なかなかスタート出来ませんでした。この場所ではないのかと思い、ほかの場所も捜しました。しかしこの場所を神様は示し続けました。働き人も本当にこの人達でしょうかと祈り続けました。家賃も給与も払い続けてきました。待ち続けましたがついに神様のゴーサインを得ることになったのです。すべて準備してから3年もかかったのです。

ビジョンは私達と神様の共同で達成するものです。

神様はいつでもOK!です。
問題は私たち人間です。私達が神様のビジョンを担うことになるのですが、神様の目から見ると私達が整えられていない為にビジョンのスタートをさせることが出来ないのです。

ろばの子保育園の開園式につくづく思ったことは信仰と忍耐と準備(心の)が必要であると言うことでした。私が整えられて、働く人たちが整えられて初めてビジョンのスタートにつけるのです。ろばの子保育園の中心は吉田顕徳兄と知芽姉の夫婦です。

私と彼らが神様から認められたことになったという証拠です。ハレルヤ!

もう一つ大切なことは決してあきらめずに祈り続けることです。神様は諦めずに待っていてくれています。つまり信頼していくことです。何が何でも信頼することです。

詩編115編の通りに。アーメン。



  


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2014年09月08日

辺野古の海は埋め立ててはなりません。

沖縄県で統一地方選挙が行われています。

我らが新垣博正兄、神様の大いなる恵みによって無投票当選が決まりました。3期目の挑戦でした。

9月2日には多くの村民と私たちの仲間も加わって立派な出発式も行われました。しかし、定員と丁度の立候補者しかいませんでした。その日の午後5時に締め切りとなって無投票が決まりました。

ハレルヤ!

新垣博正議員の信仰に神様が答えて下さいました。クリスチャンの政治家を必要としていることがよく分かりました。沖縄で唯一のバリバリのクリスチャン政治家です。主日礼拝を欠かしたことがありません。正真正銘の立派なクリスチャンです。

今、沖縄は大事な岐路に立っています。経済優先の政治を選ぶか、平和を何よりも大事にするか、が問われています。
そして経済優先は辺野古に基地を造ることがリンクしてきました。今まで、戦後このかた経済優先の社会を造ってきました。国民総イケイケどんどんの働きでした。そのおかげで、確かに豊かな日本沖縄を生み出しました。しかし反面大きなひずみの誕生ともなったのです。それは日本人の心を揺さぶり始めました。そして様々な問題を浮き彫りにしました。

日本の政治家や様々なリーダーたちは大きな落とし穴を見ることが出来ませんでした。
一つ目に、核家族を作りました。二つ目に、貧困層を作りました。
三つ目に、心の病を作りました。四つ目に、自殺者を作りました。
五つ目に、人間の尊い命を軽くしました。六つ目に、老人社会を作りました。

そして文化文明が発達すればするほどに経済の豊かさに半比例して人間の心は悪くなってきました。

今は、インターネットの時代です。人との会話よりも機械が会話の相手になりました。人を必要としない社会を造り上げています。これも経済優先の結果ではないでしょうか。そして、ありとあらゆる犯罪が起こりました。もう、どんな事件が起こっても驚くには値しなくなりました。恐るべき多くの事件事故を体験するようになったのです。

もう、そろそろ経済の優先が人間の命取りになることを学ぶ時に来ています。
そして神が定めた境界線を犯すことを知らなければならない時期に来ています。

海を埋め立てることは神の意志に反することであります。神の作品に手を加えることは神に対する批判になります。
私達はそれを、聖書を通して良く知っています。私たち人間は神を「恐れる」ことを学ぶこと。これが祝福の秘訣であると言っている聖書の教えを心に刻むことです。

辺野古の海は埋め立ててはなりません。

いかなる理由があろうとも。ましてやそこに巨大な軍事飛行場を作るとなると神は黙ってはいません。
イエス・キリストは平和を造り、愛する偉大な神様です。

私たちは祈りましょう。
神の御心に叶った良い政治家が誕生することを。アーメン。

coral
  


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2014年09月02日

もっと早く、もっと早く、もっと早くただそれだけです。

私は小学生の頃から本が好きでよく本を読んでいました。

中学生になった時にクリスチャンになった兄から伝道されました。

キリストの話しを聞くのは好きでした。ある時に兄が癒しの奇跡の本を見せました。写真付きの本でした。確か「タイ」の国での癒しの証でした。また亜米アメリカ空軍のパイロットの事故の証の本でした。パイロットがジェット機で飛行中にコクピットで火災が発生しました。パイロットは火だるまになりこれで終わりと思っていました。しかし、突然、大空に飛び出したのです。彼は助かりました。そして彼は全身大やけどをおいましたが、彼の腕に人間がつかんだように手の形をした後が残っていたそうです。ここだけ火傷がしてなかったのです。

つまり神様が彼の腕をつかんで火が燃え盛るコクピットから彼をつかんで救い出したのです。

包帯姿の写真が載っていました。この本を読んだ感想は忘れましたが、癒しの写真とパイロットの証はしっかり覚えています。そして、私はこの本を学校に持っていき一番の友人である同じ野球部の友達にキリスト教って凄いよ。と言って本を見せました。しかし彼は「馬鹿だなぁ、トリックだよ」と言って取り合ってくれませんでした。私は、何故信じられないのか不思議に思っていました。

私は不思議とキリスト教が大好きでした。
兄に連れられて2,3回教会に行ったことをおぼえています。しかし兄が急に東北に行ってしまったので私は教会に行くことがなくなり、長い歳月が流れました。もし、あの時に兄が東北に行かなければ、私ももっと早くからクリスチャンになっていたかもしれませんね。

ただ、キリスト教にはとてもいい思いを持つようになっていました。そして中学を終える頃「ああ!無情」に出会います。感動の時です。ミリエル神父の態度に感激をしました。ミリエル神父の愛の心に触れた「ジャンバルジャン」の人生が変わっていきます。何よりも、虐げられている幼いコレットとの出会いの場面は忘れることなく胸の奥に残っていました。そして高校生の時に「氷点」に出会いました。ここでもキリストの教会がさりげなく登場します。三浦綾子の本はキリスト教を身近にさせました。いつしか私の心にイエス・キリストが生きていたかもしれません。本が好きなおかげですでに思春期の頃から神様は私の中に入っていたのです。

残念ながら当の私は40歳まで自分勝手な道を歩んでいくのですが。

私はいつも思います。あの時にイエス様を信じていれば、もっと真剣に考えて神様の道に思いを馳せていれば、と・・
もっと早く、もっと早く、もっと早くただそれだけです。そしてもっと早く神様の働きに加わることが出来たのにと悔しい思いをしています。若い方々にお願いします。一日も早くイエス・キリストの道を歩んでください。




この道が最高の道です。成功の源です。喜びの源です。悔いのない人生への道です。アーメン。コリント(Ⅰ)12:31「さらにまさる道を示してあげましょう。」  


Posted by 沖縄ベタニヤチャーチ at 13:26Comments(0)

2014年08月27日

2014年08月25日

「ヘブンリースパイ」を是非読んで、勉強してください。

待ちに待った、漫画“ヘブンリースパイ”が入荷してから2週間がたちました。私にとっては大きな喜びでした。最初、この(へブンリースパイ)話をしたのは確か半年前のころです。読んだ時にこれは凄い本だと思いました。2回、3回読みました。

この本を信徒の皆さんにも読んでほしいと思いました。霊的な事を、難しいが、読み易く書いてあります。しかも漫画で描いてあるので余計に読みやすく分かり易い。

聖書の霊的な真理が理解できるようになって、信仰の成長に大いに役に立つだろうと思いました。それで、読んでみてとこの本を持ってきた娘に直ぐに買い求めるようにと支持しました。しかし、なかなか見つけることが出来ませんでした。キリスト教書店、ライフセンターに問い合わせても売り切れです。次に何時入荷するのか分かりません。との答えでした。

しかし、私は諦めることが出来ませんでした。何とかこの本を見つけるべくあらゆる手を尽くしました。でもなかなか見つけることが出来ませんでした。また、インターネットの得意な兄弟姉妹たちに頼んでも探せませんでした。

しかしある姉妹が、インターネットでやっと作者の友人の牧師にたどり着くことが出来ました。素晴らしい本がどうして増刷しないのか不思議でしたが、聞いたところによると日本から10冊、20冊の注文があっても、印刷に経費がかかるのである程度まとまった量でなければ応じられない事情があるとのことでした。

それで、少しまとまった数を注文しました。このヘブンリースパイが届いたときは嬉しくて飛び上がらんばかりでした。しかし、今は少しがっかりしています。一人として感想を言ってくれる人がいません。かろうじてある兄弟がとてもよかったですと言ってくれましたが、やっぱり、難しかったのかなーと思っています。確かに霊的な本(漫画)ですので難しいです。聖書は霊的な本です。霊的な意味が含まれています。私達は最終的には霊的な人になって、また霊的な姿に変えられて天に帰っていくのです。甦ったイエス様のように。アーメン。


三位一体の神様も霊的な神様です。私達はこの肉の目で神様をみることは出来ません。霊的な目と心で見ることが出来るのです。聖書には聖霊と悪霊が登場します。また、生きておられる神様と悪魔(サタン)が出てきます。いずれも霊的な方々です。天国も霊的な所です。地獄も霊的な所です。聖書の黙示録もほとんどが霊的な言葉での教えです。いかに“霊的”なことが大事であるかが分かったと思います。


そのような意味で、ヘブンリースパイは素晴らしい本です。何度も、何度も読んでしっかりと理解してください。アーメン。


  


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